牛乳を渡すよりも、空のコップを示したい。

ぼくはこの11年間、デザインという営みを通して、いつも相手の幸せに貢献したいと想い続けてきた。その積もりだった。

けれどある時、デザインという技能の使い方を間違えると、ぼくがどれだけ相手を幸せにしたいと思って仕事をしても、やればやるだけ相手を不幸にしてしまう。と、知った。

そうやって、過去にクライアントの不幸を促進してしまった失敗経験が、ぼくにはたくさんある。(一時的に哀しみに拉がれた時期はあったし反省はすれど、後悔はしていない。今は、ぼくにとっても相手にとっても必要なプロセスだったと思う。)

人の幸せに貢献するためには、一方的に情報を投げかけるよりも、むしろ相手のイメージを受け入れる方が有効なのかもしれない。と、2年前くらいに漸く肌で気付いた。

「どれだけ多く説得したか」じゃなくて、「どれだけ多く聴けたか」がコミュニケーションの質を左右するんだ。と、今は思っている。

たとえば、牛乳がいっぱいに満ちた容れものを差し出されると、牛乳を受け取るしかないけれど、空っぽの容れものを示されると、そこに自ら何かを入れようと、能動性が引き出される。それが、幸せをつくるためのデザインなんだと思う。

たぶん、能動性の中にしか、幸せはない。

牛乳入りのコップを手渡されて、それを飲むことが、本当の幸せだとは、ぼくは言いたくない。空のコップが置いてあった時に、そこに自らがブレンドした美味しいコーヒーでもって淹れたカフェオレを飲むことをこそ、ぼくは幸せだと言いたい。

デザインを通して、クライアントやカスタマーの幸せをつくろうとするのは、もう辞めた。

ぼくはデザイナーとして、相手の幸せを受け容れる“かもしれない”「器」をつくり続けようと思う。

それが、ぼくの道。


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